0622更新!! [blog] 昭和の神戸三宮の姿を求めて⑨
前回の更新から2ヶ月が経ちました。ダメ人間なんですよ!!
書きたいことは多くあるのですが、きちんと資料がまとまってから書こうとしてしまったり、調べ物の方に夢中になってしまったり、何かとバタバタしていたため更新が滞っておりました。
でもこの2ヶ月の間、何も動いていなかったかというと、そうではなかった!
むしろいいご縁が沢山あったんです!!
というわけで近況報告を兼ねた、かなりザックリとした振り返りをしたいと思います。
★4月5日 「市民のグラフ こうべ」のカメラマン、井川さんを紹介してもらう
生田新道ビル1Fの老舗串カツ「串乃家」さんの松本社長から、井川さんをご紹介いただきました。
井川さんはグラフ誌「市民のグラフ こうべ」の昭和47年から平成のはじめまでの間、表紙をはじめカメラマンとして活躍された方。現在はふたば学舎内「神戸アーカイブ写真館」にて膨大な量のネガフィルムを整理しているんだそうです。
神戸のことを調べるには「神戸市立博物館」「神戸文書館」が良いみたいですね。中央図書館にある「過去のゼンリンの産業地図からお店の場所を特定する」という方法を教えていただきました。
また、「市役所前の花時計は、年代によってデザインが異なるため、花時計の本で時代の特定ができるといった方法も。これはもう探偵ですね。探偵!
祖父の写真は昭和32年頃の写真が多いのではないか、とのこと。
『神戸商店街連合会20年史』という大きな本を持ってきていただいたのですが、これまた最高な内容でした。
井川さんは南京町が区画整理される前の写真が欲しいとおっしゃられてました。
★4月20日 t_arirangさんにお会いする
昭和の神戸について調べ始めた頃、昔の北長狭通や新世紀についてのエントリーを見つけました。
それがt_arirangさんのブログ「アリラン峠の石神」です。もう私の口からはああだこうだ言うのもおこがましいくらい本当に素晴らしい文章と思索を残されているお方で、野坂昭如の『1945年、夏、神戸』という本を教えていただいたのもこのブログなのですが、お時間を作っていただいて、お会いすることができました。
t_arirangさんにいくつか昭和の写真を見ていただいたのですが、その中で「お!」と反応いただいたのが下の写真です。
この建物は港の乗降場に使われていたようです。よく見ると飛行機のタラップのような橋が見えますね!! 神戸港の第4突堤Qバース、という言葉を覚えました。こうやって、写真に写っているものの意味がわかってくるのが嬉しいです。ここで沢山の人が出発への高揚と涙の惜別があったのでしょうか。
味わい深いですね。この写真については謎が一つ浮かんでおりまして、別の投稿でもう少し掘り下げたいと思っています。
大きな反応があったのがもう1枚。
これは神戸税関と生糸検査所、今のKIITOですね!
t_arirangさんが「これはね!」と教えてくれた話では、この税関のところには関所のようなものがあって、人と車の出入りをチェックする人がいたんだとか。
その方は当時子どもだったから、フリーパスで関所の向こう側に遊びに行けたんだよ、と。
よーく見てみると、電話ボックスのような人の詰所があって、まさにそんな感じです!
うーん、港町!!!港湾〜〜〜!!!
税関って、犯罪の匂いがして、なんかいいよな!!
ほんで見てください、道路がのびのび。車はカッコイイしね。
さらに、「キャバレー新世紀といえば…」と教えてくれたのが大物政治家・大野伴睦のことでした。
新世紀でヤクザの襲名披露があり、そこで大野伴睦は演説をしたそうです。これは神戸新聞に載っているんじゃないかな、とのこと!!現物に当たってみたいと思います。
そのヤクザの襲名披露とは、1963年7月28日の「本多会」の本多仁介が平田勝市に跡目を譲った代目披露だと思われます。
この日は後の衆議院議長 原健三郎、北口進市議ら政界関係者が多数参加。内田洋行社長をはじめ、財界からも多数駆けつけた(政治経済研究会「公安百二十年史」2000年10月)そうです。
すげえ時代だな。
この大野伴睦については「神戸東洋医学センター」さんのHPから、老舗料亭「松廼家」にまつわる面白い話を見つけました。
石原裕次郎と大野伴睦、警察とヤクザの二重警護。この話めっちゃ面白いなと思います。
長くなりそうなので(なった)、近況報告をもう少し続けます。
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